敦煌 陽関

- 陽関(ようかん)は漢の武帝が河西回廊を防衛する目的で、紀元前94~93年頃建設した西域交通南ルートの要所の一つで、玉門関の南に位置する。玉門関と併せて「二関」と称された。

- 敦煌の市内から南西へ70キロメートル離れる南湖郷境界内にある。中国の「山の南側そして水の北側が陽である」の言い方によると、龍首山(今のトントン山)の南にあるので、陽関と呼ばれる。

- 今の関城は既に存在していないので、ただトントン山の上に「陽関の耳と目」という烽火台の切り株が一基残されてくる。不完全な烽火台の切り株は高さ4.7メートル、底の長さ8メートル、幅7.5メートル、頂の長さ8メートル、幅6.8メートルである。烽火台の頂上に登って、周囲の数十里を見ることができるので、「陽関の耳と目」と称されている。
- 陽関の近くには陽関博物館が併設されている。漢代の長城や、漢時代からの歴史に関する出土品やシルクロードの歴史に関する展示品が陳列されている。博物館の外壁の外側に、漢の時代の攻城用の兵器の模型が並べてあり、博物館の外には、陽関に勤務したと思われる駐屯兵たちの天幕兵舎からなる駐屯地が、映画のセットのように再現されている。武帝の命をうけて大月氏国に向かう巨大な張騫(ちょうけん)の騎馬像や、有名な詩人の王維の像や、漢代の烽火台など見学できる。
